高精度ばく露評価技術

近年、電波利用技術の発達に伴って、多くの場所で電波が利用されるようになってきています。
今後は、ユビキタスネットーワーク技術の普及が見込まれており、多様な情報処理端末が身体の様々な部位に装着して、無線で通信することが予想されています。
一方、これらの無線通信機器から発射される電波の健康影響についての関心も高まってきています。
わが国では、実際に生じうる生体への悪影響を未然に防止する、また、電波利用の際の不安を払拭するために電波に対する防護指針が設定されています。
この指針は電波が人体に吸収されることによる熱的な影響が根拠となっており、その指標として人体各部に吸収される単位重量当たりの電力、
すなわち比吸収率(SAR: Specific Absorption Rate)が用いられています。したがって、電波の安全性の検討には生体内SARを正確に評価することが必要です。
しかし、電波の吸収は人体の形状や内部組織の不均一な構造によって複雑に変化します。そこで、NICTでは、人体の複雑な内部構造を詳細に模擬した数値人体モデルを開発し、数値シミュレーションにより詳細な曝露評価を実施しています。最近、医療診断技術の発展により、MRI等の解剖データを用いた詳細な数値人体モデルの開発が可能となってきました。


数値人体モデルの開発

電波の安全性の検討には生体内SARを正確に評価することが必要です。このSARは人体の形状や内部組織の不均一な構造によって複雑に変化します。しかし、実際の人体内部のSARを測定することは困難であり、これまでは単純な形状や粗い構造の人体モデルまたはファントムを用いた評価しかできませんでした。
最近、医療診断技術の発展により、MRI等の解剖データを用いた詳細な数値人体モデルの開発が可能となってきました。


NICTでは日本人を対象とした高精度な数値人体モデルの開発を進めています。これらのモデルは、現在海外で開発されているモデルと比較しても優れたモデルであり、国内外の様々な分野の研究に広く利用されています。


日本人成人男女の数値人体モデル

数値人体モデルとは、人体(組織・臓器)の形状を微小な要素の集合体として表現したもので、各微小ブロックに筋肉、脂肪といった組織・臓器名を示す番号を付与したものです。
その組織・臓器に対応する電気定数を与えることで電波が人体に吸収される様子をシミュレーションすることができます。
NICTでは、北里大学・慶応義塾大学・東京都立大学との共同研究により、わが国で初めて、日本人平均体形を有する成人男女の全身数値モデル「モデル名TARO(男性)とHANAKO(女性)」を開発しています。
これらのモデルは日本人成人男女の平均身長と平均体重に合致したボランティアのMRIデータに基づき、2mmの空間分解能、51の組織・臓器を有しています。
数値人体モデルの開発後に、医学監修作業や解剖学的データの解析を行ない、本人体モデルデータベースが、以前に開発されてきた人体モデルデータベースに比べて空間分解能や同定組織・臓器数に優れていることや、身体各部位の寸法や臓器重量も日本人の平均値に近い値を有していることを明らかにしてきました。
なお、女性モデル(HANAKO)は世界初のミリメートルの空間分解能を有する全身数値人体モデルです。
このモデルは電波と人体との相互影響を調べる目的だけではなく、弾性係数や放射線吸収係数等をモデル内で設定することにより、たとえば車が衝突した場合の搭乗者の被害解析や、がん患者のための放射線治療計画作成等の様々な分野に応用が可能です。
現在、これらのモデルは無償(非営利目的)および有償(営利目的)で公開しています。

Organization Sex Height (cm) Weight (kg) Num. of Tissues Voxel Size (mm)
NICT (TARO) M 173.2 65 51 2 × 2 × 2
NICT (HANAKO) F 160.8 53 51 2 × 2 × 2
HPA (NORMAN) M 176.0 73 37 2 × 2 × 2
HPA (NAOMI) F 163.0 60 41 2 × 2 × 2
Utah Univ. M 176.4 71 29 2 × 2 × 3
Victoria Univ. M 177.0 76 34 3.6 × 3.6 × 3.6
Brooks AFB M 187.1 105 43 1 × 1 × 1


小児モデル

近年、電波利用技術の発達に伴って、様々な場所で電波が利用されるようになってきており、これらの機器から発射される電波の小児に対する曝露量を評価することが、この分野の重要な研究課題になっています。
しかし、成人を対象とした解剖学的構造を有する数値人体モデルと同程度の品質をもった小児モデルを開発することは、様々な理由から困難でした。
この課題を改善するため、NICTは、成人モデルを3次元的に変形して、小児の平均的な体型にあったモデルを作成しました。
この変形方法を利用することで、小児以外の体型モデルも容易に作成することが可能です。

成人モデルの変形

成人と小児とでは、身長に対する各身体部位の割合が大きく異なります。
そこで、NICTは3歳、5歳、7歳程度の小児の人体各部位の寸法値(66部位)を計測し、その計測値に基づいて、成人男性モデル(TARO)を3歳児、5歳児、7歳児相当の寸法値に合うように変形しました。

 
成人男性モデル(TARO)を小児の体型に合うように、自由形状変形アルゴリズムを応用して、変形しています。


小児体型を有する数値人体モデル


妊娠女性モデル

無線機器等から発生する電波が妊娠女性(胎児)内部でどのように振る舞い、影響を及ぼすかをシミュレーションするために、千葉大学と共同で妊娠26週の日本人女性の数値人体モデルを開発しています。現在、このモデルは非営利の研究目的に対して、無償公開をしています。

胎児モデル(妊娠女性固有の組織を含む)

妊娠女性の腹部のMRI画像から作成した胎児モデル
分解能:0.742×0.742×0.742 mm
組織:6種類(胎児、胎児の脳、胎児の眼球、羊水、胎盤、子宮壁)


妊娠時の体型に合うように変形した成人女性モデル腹部

成人女性モデル(HANAKO)の腹部変形には、自由形状変形(Free-form Deformation)を応用しています。


妊娠女性モデル

妊娠女性モデルは、胎児モデルと腹部を変形した女性モデルを組み合わせることによって開発しています。現在、妊娠26週に限らず、他の妊娠各時期の数値人体モデルについても開発も進めており、これらのモデルに関しても非営利の研究目的をもつ研究者に順次公開していく予定です。


妊娠週:26週                
組織数:56種類               
分解能:2×2×2mm             
腹部形状:平均値に合致           


任意姿勢モデル

NICTが開発しているモデルは直立状態を模擬したモデルです。この立位の数値人体モデルは、無線通信機器を実際に利用している場合の姿勢など、より現実的な人間の姿勢に近いモデルに変形することが可能です。
人体モデルの関節を基準にして分けた19個のパーツを自由形状変形を用いて任意の方向に移動することによって、様々な姿勢を作成することができます。

姿勢変形モデル例

姿勢変形モデル動画

動画をダウンロードできます。再生には任意の動画再生ソフトが必要です。



数値人体モデルを用いた数値シミュレーション

解剖学的構造を有した高分解能数値人体モデルや人体組織を簡易的に模擬したモデルを用いて、人体内部での電波の振る舞いや吸収量(SAR)を推定しています。
NICTでは主に無線通信に使用される数10kHzから数100GHzまでの周波数帯を対象とした検討を実施しています。
特に、放送局や携帯電話で使用されているVHF/UHF帯、あるいはRF-ID機器やIH調理器で使用されている中間周波数帯での検討を精力的に進めています。

VHF/UHF帯(30MHz~3GHz)における検討

平面波曝露時のSAR解析

FDTD法を用いて、VHF帯(30MHz~300MHz)およびUHF帯(300MHz~3GHz)での平面波曝露時の人体のSARを推定しています。
この例は成人男女の数値人体モデルに垂直偏波の平面波(1mW/cm²)が正面から曝露されたときのSAR分布(表面)を示しています。
この図では電波の吸収が大きいところを赤色で、逆に吸収の少ないところを青色で示しています。
この解析には膨大な計算時間と大規模なメモリを必要とするために、スーパーコンピュータを用いて計算しています。
最近は、コンピュータの処理能力の向上や大規模メモリ化によって、さらなる高分解能モデル(2mm分解能以上)を用いた、より高精度な解析も可能になってきています。


携帯電話使用時の頭部SARの解析

頭部モデルを用いた数値シミュレーションにより、携帯電話使用時における頭部SARの詳細な特性評価を行なっています。
電磁波源のモデル化に適したモ-メント法と、生体組織のモデル化に適したFDTD法の長所をいかし、電磁波源と生体との相互影響を解析するFDTD/MoM混成法を開発し、携帯電話使用時の頭部内部の詳細な電界計算を行なっています。


エレベーター内における携帯使用時のSAR解析

エレベーター内で携帯電話を使用した場合の人体内部のSARを解剖学的なモデルを利用して評価しています(携帯電話はダイポールアンテナと仮定)。
この計算にはスーパーコンピュータを用いていますが、実際のエレベーターの大きさを考慮しているので、全体を人体と同じく2mmのブロックで分割すると、スーパーコンピュータでも計算が困難な大規模なメモリが必要となります。
そこで、不均一メッシュを用いたFDTD法を利用しメモリを節約して、スーパーコンピュータでの計算を可能にしました。


中間周波数帯(300Hz~10MHz)の解析

近年、RF-IDや電子商品管理システム、IH調理器など、中間周波帯(300Hz~10MHz)での電波の利用が進んでいます。
しかし、中間周波数帯の生物影響に関する知見は少なく、影響評価を行なうための科学的根拠の蓄積が必要とされています。
該当する周波数範囲に対して、ICNIRP(国際非電離放射線防護委員会)では体内に誘導される電流密度を基本制限としています。
NICTでは、小児を含む様々な数値モデルに対して、中間周波数帯の磁界に曝露した場合の誘導電流密度の解析を行なっています。

成人男性および小児モデルに前後方向の一様磁界が入射した場合の誘導電流密度分布計算例(周波数20kHz)